uniformity: 画一性の罠
均一性、画一性/一貫性
Uniformityということば自体は良くも悪くもないものの、ほぼ没個性と同義としても、よく問題にされる言葉です。“みんな同じじゃ面白くない” 程度のことならまだ気楽でいいですが、妄信や洗脳などの暗いイメージもつきまとうようです。
他宗徒をみなキリスト教に改宗させようと弾圧したのもuniformityです。
Is uniformity attainable? Millions of innocent men, women, and children, since the introduction of Christianity, have been burnt, tortured, fined, imprisoned; yet we have not advanced one inch towards uniformity. (Thomas Jefferson, 1784)
かといって、なにも反体制になる必要はないのですが、喜んで反抗のための反抗をする子供たちは、どこかでこれを聞いてきたんでしょうかね?
国や会社や学校など大勢の人が集まる場所につきものの「画一性」のなかで、人が「思考停止」してしまう傾向があるようです。
これは下の英文記事を和訳、紹介したものだそうです。
が、「だから反抗する」ではなく、画一性のこの特性を知って、随時、思考を復活させて、補い合う姿勢でいたいですね。
専制政治でもない限り、たとえ政治家に汚職事件がつきものなのが現実としても、私たちは政府という国の規模で動いてくれる組織があってこそ、やっと安全に生活できるのですから。
Uniformityは社会を安全にするためにも必要とされ、例えば、メーカーが食器に使用できる鉛の量、食品への添加物、工業製品の規格や医薬品、医療施設やあらゆる業界でさまざまな基準が設けられているわけです。
このようにuniformityはベルトコンベアに乗って作られる工業製品に象徴されますが、これを機械的に何にでも応用すると間違いの元です。体調の悪い本人の訴え以上に病院の検査結果を妄信するなら、これは検査基準というuniformityの為せる弊害です。
一方で、没個性は過剰に気にされていないでしょうか。奇想天外なだけでそこにメッセージがないなら本末転倒というもので、人騒がせに終わります。個性とは本来、自然にそれぞれの個人が持っているものを言うのです。
没個性より怖いのは考えないことです。表面的な個性の有無だけを取り上げて原因に目を向けないなら、対処療法に過ぎず、解決を見ることはないでしょう。
子供の個性を伸ばそうとするより危急なことがあって、それは論理的に考えることを教えることです。人生の先輩として伝えるべきことを伝えていくこと。たとえば、人の嫌がることはしない、もし人の気持ちを荒げてしまったら謝るべきということだけでなく、なぜ謝るべきなのかという「理由」を、自分に非があることを潔く認めて相手の気持ちをなだめるという「心」の “ありか” が大事なのだということを伝えることです。
「たとえば、道ばたに唾を吐くことは、それがマナーに反することだとされているからしないというのではなく、自分の生の美意識に反するからしないというときに、真の倫理となる」(『理想の国語教科書』斎藤孝)
http://hmhmhm.hatenablog.com/entry/2014/02/13/162800
メンデルスゾーン Mendelssohn
ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809-1847)〔独〕
弦楽八重奏曲 変ホ長調(1825)
交響曲第4番 イ長調『イタリア』第2楽章(1833)
ピアノバージョン:
ベートーヴェンのピアノソナタ『田園』の第2楽章になんとなく似ていますね?なんとなく、ですが。
ブラームス Brahms 2
交響曲第1番(1876)(ベートーヴェンの交響曲第10番と評価された)
大学祝典序曲 ハ短調 Op80(1880)
ボッケリーニ Boccherini
リドルフォ・ルイージ・ボッケリーニ(1743-1805)〔伊〕
6つの小弦楽五重奏曲 Op 30『マドリッドの通りの夜の音楽』(1780)
五重奏曲第4番『ファンダンゴ』(1798)