油断できないネット上の情報
いったい、どこにどんな思惑が隠れているか知りませんけど、
その1
冒瀆(ぼうとく)の意味は、三省堂大辞林では、
神聖・尊厳なものや清純なものをけがすこと
これがウィキペディアでは、現在、
崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める行為、または発言をいう。 価値観が異なる人からすると冒涜の基準が異なるため、ある行為や発言を冒涜と感じるかどうかは各個人によるものである。 通常、性的な意味で戒律など神の教えに背く、または社会のルールを破る場合は背徳といい、区別されている。
この下線部、必要あります?
逆に、こんな記事もありました。
絶対的真理はないという陳述をするのは、非論理的です。それなのに、今日、多くの人々がどんなタイプの絶対的真理をも否定する、文化的相対主義を擁護しています
調べたら「どんなタイプの絶対的真理をも否定」するのは、文化的相対主義ではなくて単に「相対主義」なのですけど、名称はともかく内容です。実際、私もなんだかやたらと「なんでもあり」「なんでも人による」みたいな発言が多いのが気になっていたので、その点は同感です。
ものごと、相対的なものもあれば絶対的なものもあります。相対主義は歴代の学者も矛盾点を討論してきた不完全な考え方です。
もちろん、人によることもありますけど、このウィキペディアの記事にも見られるように、どうしてこれほど「人による」と念を押したがる人がいるのか、あまりに犯罪者に都合が良過ぎて不審です。
その2
「人間は良いことをしながら悪いことをする生き物」と、ネットで出会ったある友人が大真面目に言いました。一途なかたで敬虔な信者さんでありました。
このかたはまた、グーグル叩きに夢中になり「画面にいかがわしい広告が出て迷惑」ともおっしゃいました。いかがわしいサイトを利用しているような人とは思えないし、そんなことを自分で言ってしまうのですから分かって言っていたとは思えません。そして、某動画サイトを推奨し始められたので、どうしてそこであちらの広報担当員にならなければならないのですか、とお尋ねしたところそこでの活動を休止されてしまいました。
そのかたは、ネットに起因して実社会でのストーカー行為の被害に遭ったことがあるそうで、プライバシー侵害には過敏になっているということでしたが…。
まだあったように思うのですが、今は思い出せないので、思い出したらまた追加します。
とにかく、よからぬ風潮づくりの工作ではないかと思うので、乗せられないように気をつけましょう。