いずことも分からない街の猫物語の前章
いつの時代もそういうものであったろうか。20世紀半ばごろの時代、大人たちはやたらに子供たちに未来を描かせたがった。そして、オートメーション化やロボット化された社会を描くことが大いに推奨されていた。という気が、少なくとも子供だった私にはあまりにもひしひしと感じられていた。
21世紀に入っても幸か不幸か、相変わらず地球人は途方もない宇宙に孤独なままだが、果敢に想像と夢をはぐくませたあの時代にも、ワールド・ワイド・ウェブなどというものが語られることは、(つまり、予見して話す人は)なかった。
(今夜は、もうここ十年来、私には異例の夜更かしをして、安さが自慢の、悪くないワイン[…と言うより、ぶどう酒と言いたい気分なのだけれど]とパン(シャバラだかシャバタだかと言う、平たいサンドイッチ用のタイプ)と、それに総菜の刻みオリーブもあるので、これを楽しみながらというぜいたくな時間の過ごし方を自分に許してしまっている。アルコールは私のことも漏れなく浮かれた饒舌家にさせる。)
こんな構想を思い立ったのはほんの昨夜のことで購読中の動画のせいだった。故意なのか偶然の賜物なのか、これまでになく詩情があって、たまらなく言葉に置き換えてみたい衝動に駆られた。