「生態系的な環境問題と石油ショックによって成長の有限性が認識され、」
タイトルを考えかねて、この記事を書きたいと思った原因の一節をそのまま放り込んでおくことにする。出典は、ふと読んだウィキペディアの以下の記事:
歴史の項を読んでいたのだけど、大変よくまとめてくださっていて為になりました。
「生態系的な環境問題と石油ショックによって成長の有限性が認識され、」
そうだ、日本でもそんな時代にすでに「環境問題」があり「成長の有限性が認識され」ていたのだ。それに抵抗する勢力の渦に揉まれるように生きてきたのだ。私は。学校の勉強だけに追いやられ、素直に従って一日一日を精一杯、やり過ごすだけで精一杯な日々。開きめくらにされ、知るべきものから遠ざけられ、自分の置かれた状況を分からないようにされ、生き埋めにされたうえで、まるでおめでたい人でもあるかのような言われようで、ただ、ポカンとして途方に暮れるより術を知らなかった。どこにも救いはなかった。どこにも真実を伝えてくれる存在はなかった。どこにも相談できる対象はなかった。