謝るということ
「謝るとは、相手の傷ついた感情をなだめるということです。「ごめんなさい」と謝られたことで、傷ついた心がいやされる。これが「謝った」ということだと教えるのが、心の教育です。つまり人間には心があり、人間は「もの」ではないと理解するからです。「ごめんなさい」と謝っても、相手の傷ついた感情がなだめられないなら謝ったことにはなりません」
「謝る「べき」だから謝ったというのでは、おそらく相手の傷ついた心はいやされないでしょう。謝る「べき」という規範意識から謝ったというのでは、謝る側にも「こころ」がありません」
以前、http://morahara.nukenin.jp/99kinouhuzen/kokoronokyouiku.htm にあった言葉ですが、下のほうに書名が書いてあったようにも思うので、引用文だったかもしれません。モラルハラスメントの観点から必要を感じられた記事とお見受けしました。
「べき」で謝るとタイミングがずれるものです。だから「こころ」が伝わらないんだろうと思います。
この言葉はまた、こうも言っていました。
「「謝りなさい」という親は上下関係をつくりたい」
「こういう親は、いばっているけれども、周囲が気になるタイプです。つまり心がふれあう関係をつくれ」ない
たぶん「上下関係をつく」ろうとしているわけじゃなくて、やり方を知らないのと、体裁だけは何より大事と思っているので、結果的に、信頼関係のない上下関係にしてしまうんだと思いますけど、不幸の元です、本当に…。
「謝る」ということはほんとうに多くの人が感じているように言葉じゃなくて「気持ち」ですよね。
普通、2,3日置いて、反省心が沸いてから伝えるのがいいというようなことも書いてありました。
日数は事と場合にもよるとして、だれもが心得ておくべき良いヒントだと思います。大事なのは、悪いことをしてしまったという気持ち、「こころ」を持って、相手に伝えることですよね。