My Favorite Things

趣味のなんでもコレクション  ラジオから流れてきた、どこかで聞き覚えのあるメロディ、なじみ深い作品や目新しい印象的な楽章など…

珍しいことではないけれど…回りくどい説明

たしか英語で書かれていたが、more を打ち消すのは悲観的で、less を打ち消すのは前向きと教えている教材があった。

しかし、悲観的か前向きかは文脈によるというもので、どうせ言うなら I only have ~ がより悲観的の様相がある。余裕を見せるなら I have more than ~ と肯定文だろう。

しばらくして気づいたのだが、more を打ち消せば否定に過ぎないところ、less を打ち消せば当然ながら、肯定になるということを説明しようとしたのかもしれない。

こんなことに気づくのに嫌に時間をかけてしまった。これだけで済むものを、実例らしいものをあげれば分かった気になってくれる人がいるのだとしても、その例示がまた偏見や、遅かれ早かれ通用しなくなるような偏狭な話に感じられた。

何はともあれ、指導側でステレオタイプなど取り上げるべきでない。

―― でも、人に分かるように説明すると言うことも、本当に大変なことではある。

嘘の定義

「学生が創る人間科学大事典Project」で紹介されている、ドイツの心理学者シュテルンによる定義に同感です。

ドイツの心理学者シュテルンは嘘の定義を「嘘とは、だますことによってある目的を達成しようとする意識的な虚偽の発言(口述)である」としている。  またうそつきには、次のような特徴が認められているとしている。 ①虚偽の意識がある。したがって、…

(つづきは▶「学生が創る人間科学大事典Projec」)

デジタル大辞泉の説明の仕方だと、うっかりミスや勘違いによる間違いまで「嘘」であるかのように伝わり兼ねません(というか、実質、そう言っていると思います)。実際、そのように考えているらしい意見に出会うことがあって戸惑わされます。が、

デジタル大辞泉と同じ小学館が提供する類語辞書を見ると「「嘘」は、本当ではないことを知っていて、だますためにそれを告げること」とありました。

uniformity: 画一性の罠

 均一性、画一性/一貫性

Uniformityということば自体は良くも悪くもないものの、ほぼ没個性と同義としても、よく問題にされる言葉です。“みんな同じじゃ面白くない” 程度のことならまだ気楽でいいですが、妄信や洗脳などの暗いイメージもつきまとうようです。

他宗徒をみなキリスト教に改宗させようと弾圧したのもuniformityです。

Is uniformity attainable? Millions of innocent men, women, and children, since the introduction of Christianity, have been burnt, tortured, fined, imprisoned; yet we have not advanced one inch towards uniformity. (Thomas Jefferson, 1784)

かといって、なにも反体制になる必要はないのですが、喜んで反抗のための反抗をする子供たちは、どこかでこれを聞いてきたんでしょうかね?

国や会社や学校など大勢の人が集まる場所につきものの「画一性」のなかで、人が「思考停止」してしまう傾向があるようです。

これは下の英文記事を和訳、紹介したものだそうです。

が、「だから反抗する」ではなく、画一性のこの特性を知って、随時、思考を復活させて、補い合う姿勢でいたいですね。

専制政治でもない限り、たとえ政治家に汚職事件がつきものなのが現実としても、私たちは政府という国の規模で動いてくれる組織があってこそ、やっと安全に生活できるのですから。

Uniformityは社会を安全にするためにも必要とされ、例えば、メーカーが食器に使用できる鉛の量、食品への添加物、工業製品の規格や医薬品、医療施設やあらゆる業界でさまざまな基準が設けられているわけです。

このようにuniformityはベルトコンベアに乗って作られる工業製品に象徴されますが、これを機械的に何にでも応用すると間違いの元です。体調の悪い本人の訴え以上に病院の検査結果を妄信するなら、これは検査基準というuniformityの為せる弊害です。

一方で、没個性は過剰に気にされていないでしょうか。奇想天外なだけでそこにメッセージがないなら本末転倒というもので、人騒がせに終わります。個性とは本来、自然にそれぞれの個人が持っているものを言うのです。

没個性より怖いのは考えないことです。表面的な個性の有無だけを取り上げて原因に目を向けないなら、対処療法に過ぎず、解決を見ることはないでしょう。

子供の個性を伸ばそうとするより危急なことがあって、それは論理的に考えることを教えることです。人生の先輩として伝えるべきことを伝えていくこと。たとえば、人の嫌がることはしない、もし人の気持ちを荒げてしまったら謝るべきということだけでなく、なぜ謝るべきなのかという「理由」を、自分に非があることを潔く認めて相手の気持ちをなだめるという「心」の “ありか” が大事なのだということを伝えることです。

「たとえば、道ばたに唾を吐くことは、それがマナーに反することだとされているからしないというのではなく、自分の生の美意識に反するからしないというときに、真の倫理となる」(『理想の国語教科書』斎藤孝)

http://hmhmhm.hatenablog.com/entry/2014/02/13/162800

「かわいそう」の何が問題?

いつの時代にも繰り返したまに聞こえてくるんですけど、直に自分が体験ないので、よく分からないまま、気になります。

どんな言葉も使い方次第で良くも悪くもなります。たぶん、問題は言葉ではなくて、気持ちの“ありか”なんじゃないかなと思います。ちなみに、辞書にはこうあります:

「余計なお世話」というのは、たいてい、そうと気づかずにやっていますから、できれば本音が伝えられて、かつ、丸く収まるといいですね。また、見下した態度になっていないか、常に振り返って自省したいものです。

ただ、時と場合によるのに、人が言うのを覚えていて、自分が実際に感じることとは裏腹に、やたらに人を非難しちゃいけません。><

もうひとつ考えられるのは、英語の影響。英語の場合は、どうも嫌味な使い方のほうが実際によく使われるようです:

The word pitiful can be used in a range of contexts. Most commonly, you'll see it used as an expression of (1) contempt軽蔑 and pity, the way the word pathetic might be used.

You might also see it used in reference to something (2) unfortunate不運な or deserving of pity — like a homeless mother and her child, begging for money on the street.

Something pitiful might also be something (3) very small or inadequate不十分な. A pitiful attempt, is one that isn't good enough.

(from Vocabulary.com: pitiful)

謝るということ

「謝るとは、相手の傷ついた感情をなだめるということです。「ごめんなさい」と謝られたことで、傷ついた心がいやされる。これが「謝った」ということだと教えるのが、心の教育です。つまり人間には心があり、人間は「もの」ではないと理解するからです。「ごめんなさい」と謝っても、相手の傷ついた感情がなだめられないなら謝ったことにはなりません」


「謝る「べき」だから謝ったというのでは、おそらく相手の傷ついた心はいやされないでしょう。謝る「べき」という規範意識から謝ったというのでは、謝る側にも「こころ」がありません」

以前、http://morahara.nukenin.jp/99kinouhuzen/kokoronokyouiku.htm にあった言葉ですが、下のほうに書名が書いてあったようにも思うので、引用文だったかもしれません。モラルハラスメントの観点から必要を感じられた記事とお見受けしました。

「べき」で謝るとタイミングがずれるものです。だから「こころ」が伝わらないんだろうと思います。

この言葉はまた、こうも言っていました。

「「謝りなさい」という親は上下関係をつくりたい」

「こういう親は、いばっているけれども、周囲が気になるタイプです。つまり心がふれあう関係をつくれ」ない

たぶん「上下関係をつく」ろうとしているわけじゃなくて、やり方を知らないのと、体裁だけは何より大事と思っているので、結果的に、信頼関係のない上下関係にしてしまうんだと思いますけど、不幸の元です、本当に…。

「謝る」ということはほんとうに多くの人が感じているように言葉じゃなくて「気持ち」ですよね。

普通、2,3日置いて、反省心が沸いてから伝えるのがいいというようなことも書いてありました。

日数は事と場合にもよるとして、だれもが心得ておくべき良いヒントだと思います。大事なのは、悪いことをしてしまったという気持ち、「こころ」を持って、相手に伝えることですよね。