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嘘の定義

「学生が創る人間科学大事典Project」で紹介されている、ドイツの心理学者シュテルンによる定義に同感です。

ドイツの心理学者シュテルンは嘘の定義を「嘘とは、だますことによってある目的を達成しようとする意識的な虚偽の発言(口述)である」としている。  またうそつきには、次のような特徴が認められているとしている。 ①虚偽の意識がある。したがって、…

(つづきは▶「学生が創る人間科学大事典Projec」)

デジタル大辞泉の説明の仕方だと、うっかりミスや勘違いによる間違いまで「嘘」であるかのように伝わり兼ねません(というか、実質、そう言っていると思います)。実際、そのように考えているらしい意見に出会うことがあって戸惑わされます。が、

デジタル大辞泉と同じ小学館が提供する類語辞書を見ると「「嘘」は、本当ではないことを知っていて、だますためにそれを告げること」とありました。

uniformity: 画一性の罠

 均一性、画一性/一貫性

Uniformityということば自体は良くも悪くもないものの、ほぼ没個性と同義としても、よく問題にされる言葉です。“みんな同じじゃ面白くない” 程度のことならまだ気楽でいいですが、妄信や洗脳などの暗いイメージもつきまとうようです。

他宗徒をみなキリスト教に改宗させようと弾圧したのもuniformityです。

Is uniformity attainable? Millions of innocent men, women, and children, since the introduction of Christianity, have been burnt, tortured, fined, imprisoned; yet we have not advanced one inch towards uniformity. (Thomas Jefferson, 1784)

かといって、なにも反体制になる必要はないのですが、喜んで反抗のための反抗をする子供たちは、どこかでこれを聞いてきたんでしょうかね?

国や会社や学校など大勢の人が集まる場所につきものの「画一性」のなかで、人が「思考停止」してしまう傾向があるようです。

これは下の英文記事を和訳、紹介したものだそうです。

が、「だから反抗する」ではなく、画一性のこの特性を知って、随時、思考を復活させて、補い合う姿勢でいたいですね。

専制政治でもない限り、たとえ政治家に汚職事件がつきものなのが現実としても、私たちは政府という国の規模で動いてくれる組織があってこそ、やっと安全に生活できるのですから。

Uniformityは社会を安全にするためにも必要とされ、例えば、メーカーが食器に使用できる鉛の量、食品への添加物、工業製品の規格や医薬品、医療施設やあらゆる業界でさまざまな基準が設けられているわけです。

このようにuniformityはベルトコンベアに乗って作られる工業製品に象徴されますが、これを機械的に何にでも応用すると間違いの元です。体調の悪い本人の訴え以上に病院の検査結果を妄信するなら、これは検査基準というuniformityの為せる弊害です。

一方で、没個性は過剰に気にされていないでしょうか。奇想天外なだけでそこにメッセージがないなら本末転倒というもので、人騒がせに終わります。個性とは本来、自然にそれぞれの個人が持っているものを言うのです。

没個性より怖いのは考えないことです。表面的な個性の有無だけを取り上げて原因に目を向けないなら、対処療法に過ぎず、解決を見ることはないでしょう。

子供の個性を伸ばそうとするより危急なことがあって、それは論理的に考えることを教えることです。人生の先輩として伝えるべきことを伝えていくこと。たとえば、人の嫌がることはしない、もし人の気持ちを荒げてしまったら謝るべきということだけでなく、なぜ謝るべきなのかという「理由」を、自分に非があることを潔く認めて相手の気持ちをなだめるという「心」の “ありか” が大事なのだということを伝えることです。

「たとえば、道ばたに唾を吐くことは、それがマナーに反することだとされているからしないというのではなく、自分の生の美意識に反するからしないというときに、真の倫理となる」(『理想の国語教科書』斎藤孝)

http://hmhmhm.hatenablog.com/entry/2014/02/13/162800

「かわいそう」の何が問題?

いつの時代にも繰り返したまに聞こえてくるんですけど、直に自分が体験ないので、よく分からないまま、気になります。

どんな言葉も使い方次第で良くも悪くもなります。たぶん、問題は言葉ではなくて、気持ちの“ありか”なんじゃないかなと思います。ちなみに、辞書にはこうあります:

「余計なお世話」というのは、たいてい、そうと気づかずにやっていますから、できれば本音が伝えられて、かつ、丸く収まるといいですね。また、見下した態度になっていないか、常に振り返って自省したいものです。

ただ、時と場合によるのに、人が言うのを覚えていて、自分が実際に感じることとは裏腹に、やたらに人を非難しちゃいけません。><

もうひとつ考えられるのは、英語の影響。英語の場合は、どうも嫌味な使い方のほうが実際によく使われるようです:

The word pitiful can be used in a range of contexts. Most commonly, you'll see it used as an expression of (1) contempt軽蔑 and pity, the way the word pathetic might be used.

You might also see it used in reference to something (2) unfortunate不運な or deserving of pity — like a homeless mother and her child, begging for money on the street.

Something pitiful might also be something (3) very small or inadequate不十分な. A pitiful attempt, is one that isn't good enough.

(from Vocabulary.com: pitiful)

謝るということ

「謝るとは、相手の傷ついた感情をなだめるということです。「ごめんなさい」と謝られたことで、傷ついた心がいやされる。これが「謝った」ということだと教えるのが、心の教育です。つまり人間には心があり、人間は「もの」ではないと理解するからです。「ごめんなさい」と謝っても、相手の傷ついた感情がなだめられないなら謝ったことにはなりません」


「謝る「べき」だから謝ったというのでは、おそらく相手の傷ついた心はいやされないでしょう。謝る「べき」という規範意識から謝ったというのでは、謝る側にも「こころ」がありません」

以前、http://morahara.nukenin.jp/99kinouhuzen/kokoronokyouiku.htm にあった言葉ですが、下のほうに書名が書いてあったようにも思うので、引用文だったかもしれません。モラルハラスメントの観点から必要を感じられた記事とお見受けしました。

「べき」で謝るとタイミングがずれるものです。だから「こころ」が伝わらないんだろうと思います。

この言葉はまた、こうも言っていました。

「「謝りなさい」という親は上下関係をつくりたい」

「こういう親は、いばっているけれども、周囲が気になるタイプです。つまり心がふれあう関係をつくれ」ない

たぶん「上下関係をつく」ろうとしているわけじゃなくて、やり方を知らないのと、体裁だけは何より大事と思っているので、結果的に、信頼関係のない上下関係にしてしまうんだと思いますけど、不幸の元です、本当に…。

「謝る」ということはほんとうに多くの人が感じているように言葉じゃなくて「気持ち」ですよね。

普通、2,3日置いて、反省心が沸いてから伝えるのがいいというようなことも書いてありました。

日数は事と場合にもよるとして、だれもが心得ておくべき良いヒントだと思います。大事なのは、悪いことをしてしまったという気持ち、「こころ」を持って、相手に伝えることですよね。

油断できないネット上の情報

いったい、どこにどんな思惑が隠れているか知りませんけど、

 

その1

冒瀆(ぼうとく)の意味は、三省堂大辞林では、

神聖・尊厳なものや清純なものをけがすこと

これがウィキペディアでは、現在、

崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める行為、または発言をいう。 価値観が異なる人からすると冒涜の基準が異なるため、ある行為や発言を冒涜と感じるかどうかは各個人によるものである。 通常、性的な意味で戒律など神の教えに背く、または社会のルールを破る場合は背徳といい、区別されている。

この下線部、必要あります?

逆に、こんな記事もありました。

絶対的真理はないという陳述をするのは、非論理的です。それなのに、今日、多くの人々がどんなタイプの絶対的真理をも否定する、文化的相対主義を擁護しています

調べたら「どんなタイプの絶対的真理をも否定」するのは、文化的相対主義ではなくて単に「相対主義」なのですけど、名称はともかく内容です。実際、私もなんだかやたらと「なんでもあり」「なんでも人による」みたいな発言が多いのが気になっていたので、その点は同感です。

ものごと、相対的なものもあれば絶対的なものもあります。相対主義は歴代の学者も矛盾点を討論してきた不完全な考え方です。

もちろん、人によることもありますけど、このウィキペディアの記事にも見られるように、どうしてこれほど「人による」と念を押したがる人がいるのか、あまりに犯罪者に都合が良過ぎて不審です。

 

その2

「人間は良いことをしながら悪いことをする生き物」と、ネットで出会ったある友人が大真面目に言いました。一途なかたで敬虔な信者さんでありました。

このかたはまた、グーグル叩きに夢中になり「画面にいかがわしい広告が出て迷惑」ともおっしゃいました。いかがわしいサイトを利用しているような人とは思えないし、そんなことを自分で言ってしまうのですから分かって言っていたとは思えません。そして、某動画サイトを推奨し始められたので、どうしてそこであちらの広報担当員にならなければならないのですか、とお尋ねしたところそこでの活動を休止されてしまいました。

そのかたは、ネットに起因して実社会でのストーカー行為の被害に遭ったことがあるそうで、プライバシー侵害には過敏になっているということでしたが…。

 

まだあったように思うのですが、今は思い出せないので、思い出したらまた追加します。

とにかく、よからぬ風潮づくりの工作ではないかと思うので、乗せられないように気をつけましょう。